舞台は大正区!『エヴリシング・フロウズ』

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『エヴリシング・フロウズ』(津村記久子著/文藝春秋刊)

 ネットで『エヴリシング・フロウズ』がもうすぐ発売されるという告知を見て、この物語の舞台が大正区だと知る。私の生まれ育った地元である。
 発売後すぐに近所の本屋でチェック。
 手書きPOPには、主人公の通う学校が「大正西中学校」と書いてあった。我が母校ではないか。ますます読まないといけないような気になる。
 立ち読みして様子をみようと思っていたのにそのまま買って帰った。

 区名や学校名などが書かれていないが、地図も載せられてあるので、すぐに大正区だとわかる。名称がはっきりと書かれてあるのは「イケア」と「めがね橋(千本松大橋)」くらいだ。
 区役所や昭和山の前のミスド、なか卯がよく出て来る。この辺りは塾の近くみたいだが、それもどこなのかはっきりとはしない。
 主人公の家が斎場の近くだと書いてある。それなら「中央中学校」に通っているのではないのかと思ったが、読み進めてみると、どうやらやはり「西中」である。「西中」であるなら、その校区内で斎場に再短距離にあるのは南恩加島の端だろう。それでいうと私の住んでいた2丁目か、バス通りの西側の5丁目だ。かつての日常の行動範囲なので非常に興味深い。
 それにしても、著者の津村記久子さんはなぜ大正区を舞台にしたのか、何か関わりがあるのか、知りたいものである。

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 物語は、中学三年の主人公ヒロシとその同級生たちの話。
 その年に知り合う人間関係と学校生活。彼らが、受験・いじめ・家族の問題に触れながらもみんな精一杯に生きている。
 その頃の友人関係や大人に向ける視線、誰もがそれぞれ持つ事情や答えの出せない問題など。得意分野、好きな音楽、やりたいことなど、いろんなことがまわりにあって、自分なりに考え出した方向にそれぞれの人生を進ませる。
 そしてまたそこで新たな人間関係ができる。すべては漂っているのだというタイトルのごとくである。

 中学三年という、その年頃独特のなんともいえないあのフワフワとした感覚が描かれていて、登場人物の中に共感する人物を見つけられ、誰しも「ああ、わかる」と思えるはずである。

 読後感もなかなかよかった。ごく自然に幕にして余韻を残してくれている。
 文体も違和感がない。すんなりと入って来る。
 なにより登場人物の言い回しが嫌みのない大阪弁であるところがいい。
 たまに自分が大阪人だというのを強調したいがためにコテコテの大阪弁を使う作家がいるが、その人たちの小説でよく見かけるコテコテの大阪弁は如何にもわざとらしく思えるので苦手なのである。人に対して礼をわきまえるとき大阪人は大阪弁を使い分けているのを大阪人なら知っているからね。

 いや、とにかく大正区に関するだけでもうれしいのに、そのうえ面白い小説だと言うことなし。
 NHKの朝ドラ『純と愛』で大正区がガックリ落ちたからなぁ(あの脚本家め……)。
 今は妻と『エヴリシング・フロウズ』を映画化するなら監督は誰がいいかなどと話しているところである。俺たち関係ないのに……。

ほんわかとする本

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『ふれあいのうた』(水上美佐雄著)
 この本は、妻が十数年前に入院したとき、見舞いの帰りに病院の近所の小さな古本屋でたまたま私がみつけたのもである。
 そのとき私は著者が誰なのかなどまったく知らないでただ手に取ってパラパラとページを見ただけだった。
 内容は小学校教諭である著者・水上美佐雄氏が教え子たちの詩を編集して載せたもの。ひとつひとつが短い詩であり、ほんの少し読んでみると、自分の子供の頃が思い浮かぶような懐かしい感じがして心がほんわかと温かくなった。
 これなら妻が病室のベッドに横たわりながら読むのにちょうどいいだろう、それに退屈な病室で少しでも気が紛れるだろうと考えて買ったのである。
 しかし、後に妻が言うには、入院中は体がつらくて本などを読む余裕がなかったとのこと。そこまでつらい思いをしていることに考えが及ばないでいた。大体において男は間抜けな生き物であるゆえ、どうかお許し願いたい。

 そして、あれからだいぶ経ったが、最近この本を寝る前に開いて読んでいるのである。やはりおもしろい。
 おもしろいと思う箇所を布団に入って今にも眠りそうな妻に読み聞かせることにした。あの時の罪滅ぼしではないが妻も喜んでくれるのではないだろうか。
 ひとつの詩を読むとそれまで目を瞑って聞いていた妻がおもわずぷっと吹き出した。ウケたのだ。それじゃあと言って次のおもしろい詩を読む、そしてまたその次とやっていると、
「読んでくれるのはええけど、寝られへんようになるやんか! わたしはもう寝たいねん!」
 と終いには妻が怒り出してしまった。

 そんなこともあったが……、それにしてもだ、作為のない子供たちの文章は素直に感動する。とても大人たちには太刀打ちできないとあらためて思わせられる。今の大人たちもみんな子供の時を通って来ているというのに、いつの間に平気でヘタな作為をするようになったのだろう。(これ、なんの話やねん!)

イラストレーター・貝原浩!

 ひょんなことでイラストレーターの貝原浩さんに興味を持ち、いろいろ調べてみて、貝原さんの本を図書館で借りた。
 これがなんとも凄い本だった。

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『風しもの村 チェルノブイリ・スケッチ 貝原浩画文集』
 1986年のチェルノブイリ原発事故の6年後の1992年2月、貝原は死の灰を浴びた村のひとつ、ベラルーシのチェチェルスクを初めて訪れる。
 その後、「絵描きの自分にはいったい何ができるのか……」を自問しながら再度チェチェルスクを訪ね、出会う人を片っ端からスケッチした。
 大きな和紙に墨と筆で描かれた絵を何枚も描いた。
 そこには悲惨なものは描かれていない。
 貝原は、ただつましく、温かく、たくましく生きる老若男女の村人たちを描いたのだ。
 放射能汚染という絶望的な状況に置かれながらも、そこから再生の道を探るその土地の人々の「小さな単位の小さな暮らしの営み」、その力強さを讃えて貝原は絵に描いている。

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『漫文漫画・ショーは終っテンノー(天皇制論叢)』
 これほどまでに昭和天皇を強烈に批判し、こき下ろしたイラストレーターがいただろうか。
 見開きの片ページには筆でササッと描いたコミカルタッチの絵、見開き全面には濃密な鉛筆画という構成。
 ページのどこを開いても天皇批判に終始している。かなりこてんぱんにやっていて、よくまあ悪口や馬鹿にしたような絵がこんなに出て来るなあと感心する。
 しかし、これでもかというくらいに酷いこと書いているはずなのに必ずそこにはユーモアを盛り込んであるので見ていても不愉快にならないのだ。
 私は右でも左でもないが、イラストレーターが一人でこれだけの仕事をしたことに感嘆するばかり。
 おそるべし貝原浩。

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『仮説縁起絵巻』
 これはとんでもなく凄い本だなと思った。
 左翼系作家の二人、イラストレーター・貝原浩と作家・池田浩士が創り出した奇怪な縁起絵巻である。
 実際にあった事件を元に、見開き・一事件の構成。
 右ページは40字×18行に一字違わず押し込める文章。左ページには人や物が押し込められたように凝縮した暗い調子の鉛筆画。
 鉛筆画とはいえ、とにかくあらゆる意味で密度が高い。
 風刺があり、狂気があり、一見グロテスクなのだが滑稽さが画面からあふれ出している。
 あとがきに「出版記念会のために本づくりを思いたち、さてどんな本にしましょうか? 本末転倒地でゆくやり方。」とあるように、雑誌に連載発表した、すでに描き上がっている貝原の絵があり、それにあとから池田が文章を創作するといった手法である。

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 近いうちに図書館に返却するので、よかったら次誰か借りてみてはどうか。
 ブラックな貝原ワールド、手元に置いてもいいかも。買おうかな……。

■貝原浩
デザイナー、イラストレーターとして活躍。
2005年6月30日がんにより死去。享年57歳。

イラストレーター・長尾みのる!

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 長尾みのるさんが1969年に発表した『革命屋』と『バサラ人間』。この2冊が5〜6年ほど前に復刊したのだが、これがとてもいいのだ。
 長尾みのるさんといえば、日本で初めて「イラストレーター」を名乗ったという方。そしてどこにも所属しない孤高のイラストレーターである。
 長尾さんが生み出した「イラストーリー」とは、イラストレーションと物語(ストーリー)を合体させたもので、その手法は当時において革新的な試みだった。
 文章を絵の中に入れ込んだ画面構成。漫画や劇画でもない、見開きページをどう見ようが自由という、それまでにはなかった表現方法だったという。
 ただ、レイアウトからストーリーまで何もかも全部自分で、自由にやってしまうので、ベテラン編集者には嫌われることもあったらしい。
 スクリーントーン、コラージュ、スミと赤と緑の色指定による構成は、我々の年代にはどこか懐かしさを感じるが、若い人たちにはカラー印刷が普及した現代にあえて色数を絞るなど逆に新鮮に思うのではないか。
 長尾さんは1929年生まれ。今も尚現役という。気になる方である。

サエキとサノシゲ、そしてドキドキ

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『古本スケッチ帳』(林哲夫著/青弓社)
 画家であり装幀家でもある林哲夫さんの装幀エッセイ、書物に関する随筆を収録した本である。
 中でも興味深かったのは、肖像章の「佐野繁次郎のこと」。
 大阪・船場の筆墨商の息子の佐野繁次郎が、北区中津の寺の息子の佐伯祐三がお互い十代半ばのころ知り合い、佐伯に誘われて同じ梅田の画塾に通ったことが書かれてある。
 佐野の回想文にあるように佐野は佐伯の影響で本格的に絵を描くようになったとのこと。佐伯がパリで描いた絵、ポスターの文字などに強く影響を受けたであろうことは、その後の佐野の仕事を見れば容易に納得できる。

 ところで、来月からまた佐伯祐三の展覧会しますね。
 チラシを見ると作品内容は前回とあまり変わりないように思えるが、「その他の出品作家」の名前の中に佐野繁次郎の名前も入っている。とりあえず覚えておくことにする。
『佐伯祐三とパリ』(2012年4月28日〜7月16日/大阪市立近代美術館・心斎橋展示室)

『装幀のなかの絵』(有山達也著/四月と十月文庫)
 装幀やポスター、CDジャケットなどを手掛けるアートディレクター・有山達也氏の仕事に関するエッセイ。
 有山氏がイラストレーターに求める要求が良い。
「戻れない覚悟」の中で私が感心したところをかいつまんで紹介したい。
 有山氏は、アンドゥ(コンピュータ上で、直前に行った操作を取り消し、元に戻すこと)無しの絵を描いてみたら? と、イラストレーターに求める。それは同時にアートディレクターである自分(発注側)の怠慢に対する抑制でもあるとして。
 どういうことかというと次のようなことである。
 コンピュータの制作行程は、とても便利であり、かつ現在のデジタルデータ入稿にもマッチしていると良いことずくめだが、ただ「絵」が本来持つ「勢い」や「決意」、あるいは「ハプニング」といったものが希薄になることも否めない。
 制作工程中の失敗を恐れリスクを少なくするということは、冒険をしなくなるということ。
 冒険とは何ぞや。絵の場合で言えば、どんな絵が上がってくるかわからないがそれを待ってみる、ということ。
 それは「ドキドキする」ということ。ドキドキはワクワクにつながっている。それを我々は忘れがちである。
 いかに冒険するか。「慣れ」からいかに脱却するか。アンドゥをしないことはそのひとつの方法だ。
 イラストレーターには、小さくまとまるのではなく、のびのびと「絵」を描いてもらいたい。そのための「覚悟」(ドキドキ)がアートディレクターには必要である。
 というようなことを有山氏は言っている。

 我々はデジタルで絵を描く便利さを知っているが、時々アナログに戻って描きたくなってしまうのは、このドキドキワクワクを失いたくないからだ。そんなことを再認識させられた本なのである。

山口瞳は生きている?

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 先月に発売された『山本さんのいいつけ』(山口瞳著/河出書房新社)を買った。
 山口瞳の単行本未収録エッセイ集として河出書房新社から出るのはこれで何冊目だろう。
 向田邦子のことや酒や勝負事について書かれている。そのせいか、以前に読んだような気がするが、読んでみると、まだ読んでいなかったことに気付く。同じ題材をほとんど同時期に異なる視点で書いているのだ。古臭さなどはなく新鮮に感じる。山口瞳が今まだ生きていて、どこかに隠れてこの「未収録エッセイシリーズ」を書いているような気さえしてくる。そんなわけないが、本の帯のコピーにあるように「まだまだ読める、山口瞳。」なのである。

吉田茂ボン!

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『態度がデカイ総理大臣』を読み終えた。
 早川さんが書いた、ワンマン首相・吉田茂の物語だ。戦後の混乱期に敗戦国の日本を強引に立て直した首相・吉田茂。
 元来私は政治や歴史に暗く、いつもならついていけずに挫折するところだが、この本はそれがなかった。分かりやすくて読みやすいのでどんどん読み進んでいけるし、早川さんの仕込んだ笑いが所々ではじける。面白くてなかなか止めることができない。
 以前に出された早川さんの本『取るに足らない事件』(バジリコ)で「早送りの戦後史・マッカーサーはノッペラボー」として取り上げられたマッカーサー元帥もばっちり登場する。
 興味のある方は是非!

 そういえば、吉田茂の息子である吉田健一の『酒肴酒』を以前に読んでいたことを思い出した。お察しの通り、政治・歴史に関係なくただ飲んだり食ったりの本である。

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態度がデカイ総理大臣-吉田さんとその時代

態度がデカイ総理大臣-吉田さんとその時代

  • 作者: 早川いくを
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2010/08/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)