この時が来た

先週のとある日の夜、母が死んだ。

病院の看護師から電話があった。
「お母さまの呼吸が止まりだしています。一刻も早く来てください。間に合わないかも……」
容態がよくない母に付き添っていた妻が面会時間の終了時刻により病院を出た直後のことだった。

病院へとんぼ返りになる妻と私は急いで病院へ向かっていたが、焦る気持ちの中、どこか少し落ち着いた気持ちもあった。母の死に際に立ち会えないかもしれないと思う事態はこれまで何度もあり、そのことには覚悟ができていたのだろう。たとえ立ち会えなくても諦めがつくほど、すでに母とはじゅうぶんに関わり心を通じ合わせた気がしていたからだ。「とうとうこの時が来た」という思いだけである。

病室へ入ると私たちの到着を待っていてくれた当直の医師が死亡確認を行った。神妙な顔で申し訳なさそうにぼそぼそと言うので死亡確認時刻の他はあまり聞き取れなかった。眠っているような顔の母だが、ベッド脇の心電図に波形はない。私は母の腕に触れた。まだ温かかった。
少し遅れて父と妹が駆けつけて来て母の死に顔を見る。父は居場所が見つけられないのか、自分は今何をするべきなのかがわからない様子だった。

我々は病室の外で母のからだを清められるのを静かに待った。時間が止まっているかのように感じられた。父がこの場に全く関係のないことや自分のことばかりを喋ろうとするので聞こえないふりで無視をした。

看護師に呼ばれ再び病室に入ると、母のからだには白い掛け布団、顔には白い布が掛けられていた。涼しげできれいな浴衣を着せてもらったので母はきっと喜んでいるだろう。

母の遺体と霊安室に。顔に掛けられた白い布を取る。薄化粧が施されており穏やかな表情をしている。手を合わせ話しかけた。

頭の中で何か言葉が出てきそうになるが、出てくるのは「お母ちゃん」の一言だけであった。
「お母ちゃん……」
何だ? 私は何が言いたいのだろうか。
「お母ちゃん……」
何だ? 何なのだ?!
「お母ちゃん……、お母ちゃん……、死んだ……」
何度も呼びかけたあと、最後に出てくるのはこれだった。

しばらくして父と妹が帰り、霊安室には私と妻の二人だけになった。母の顔を見ながらいろいろ話した。

静かな夜だった。


※今後少しずつでも母のことを書き残しておこうかと思う。

ゆび相撲

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 なんと今日は母とゆび相撲をした。驚いた。母の手は骨と皮だけでまるで鶏の足に見えるほどに痩せこけている。皮も薄くなり浮き出た血管が痛々しい。その母の親指が私の親指を押さえこんでくる。こっちも負けじと押さえ込むと母の親指は逃れようとする。その瞬間、生命力を感じた。話しかけても反応鈍く、喋らなくなった母の、笑わなくなった母の生命力。指先だけは示していた。なんだか可笑しくなってきて笑えた。少し前までは深刻な状態にあったというのに、今、ゆび相撲をしている。このことを家に帰ったら早く妻に伝えたいと思った。

思うこといろいろ

 母のいる施設の階のインフルエンザ感染予防のための面会禁止がやっと解除された。
 今日は妻が前もって郵便局で買ってくれていたひな祭りの立体カードを持って行った。
 立体にして母に見せ、お内裏様、お雛様、三人官女、五人囃子をそれぞれ説明したが、母は眠そうにしていてカードをぼうっと見ているだけだった。
 母は記憶や言葉を失いかけているが、私が帰るときにはいつも「気いつけや」だけは言ってくれる。

 母の病床のカーテンを開けて帰ろうとしたとき、斜め向かいの病床のおばあさんに呼び止められた。
 そのおばあさんは母のそばにいる私にいつも視線を向けている人だ。私は背中でその気配を感じていたが、施設内ではあまり他人の事情に立ち入ってはいけないと思い、これまで顔を合わせても会釈するだけだった。
 おばあさんはベッドの鉄柵をつかんで上半身を少し起こした格好で「もう帰る?」と私に尋ねてきた。
「あ、はい。今日はもう帰ります」と答えると、「うちも連れてって」と言うのである。意味がわからず返事ができないでいると、「うち、もうええわ。独りやからな」と諦めたようにつぶやいた。今の状態からどうにかしてほしいということか?
 私は反応に困り、瞬時に固まってしまっていた。
「それは、ちょっと……、僕はまた来ますから」と答えにならないようなことを言ってごまかし、まっすぐこちらを見つめるおばあさんに挨拶をしてその場を去った。
 それから「うち、もうええわ」という言葉がずっと頭から離れない。

おふくろ雑感

 母の病室へ行くと、母は私の顔を見るなり眉のあたりを指差し開口一番、
「あんた、こんなとこにホクロあったか?」と言う。
 妻に聞いた話では、これまでも母はホクロを見つけては何か言うらしい。認知症の人はホクロが気になり出すのだろうか。

 病室の母のロッカーの扉の内側には一枚の絵を仮止めテープで貼付けてある。それは私が仕事で歌舞伎の女形を描いたイラストだ。前に、描いている途中の絵を写真に撮ったものをデジカメの小さなディスプレイ画面で見せたら「きれいなあ」といたく感動してくれたので完成原画をプリントアウトして病室に持って来たものである。
 洗濯した替えのパジャマやタオルなどを入れ替えるときに「ほら、これ」と言ってその絵を母に見せると「おおお」と言って、懐かしいものを久しぶりに見たときのような表情で小さく頷く。
「その絵は他のひとが描いたもんやけど、色はうちが塗ったんや」と母は言う。
 どうやら前にいた病院の看護士に色を塗らせてもらった子供用のぬりえの絵と勘違いしている。まあ、それは別にいいのだが……。
 またぬりえをしたいか訊くと「そうやなあ」と答えた。今度仕事の着色前の線画状態の絵を持って来てあげようと思う。

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おふくろ雑感

 私が病室に着くなり「もう帰るんか」と母は言う。「来たばっかりや」と私は返す。本物のボケに突っ込みである。なぜかこのパターンが多い。
 かみ合わない会話をしていても本当に帰るときには「気ぃつけて帰りや」と母は言う。その時だけはハッキリしているように思える。
 その「気ぃつけて帰りや」の一言だけでいつもお互い納得して別れられているような気がするのである。

 今日は熱があるのか母は氷枕をしていた。
 話しかけても薄目を開けてこちらを見るが何も言わない。寝息のような呼吸だ。眠っているのか起きているのかわからない。時々こちらを見る視線は動く。
 しばらくベッドの横に座っていた。
「もう帰るわ」と言うと小刻みに頷いたようだった。きっと「気ぃつけて帰りや」と言っているのだろう。

母の転院

 母の転院の日だった。
 以前から何度かお願いしたことがある介護タクシーの運転手さんのおかげでスムーズに病院間を移動できた。今日から入院する病院の裏口には病院の受付の人が傘を持って待っていてくれた。入院手続きを済ませ、診察と諸々の検査が終わるのを待つ。病棟に移れたのは昼を過ぎてからだった。
 認知症が進む母との会話はこれからどんどん難しくなってくるのだろう。最近では何か言いたくなっても物の名前や言葉が出ないようだ。誰よりももどかしくて苦しいのは本人だろう。
 そんな母の相手になってくれる妻にはいつも救われている。母のとぼけた言葉を正さずにいっしょに笑ってくれる。それだけで空気がやわらかになる。
 妻と夕方帰宅。遅めの昼食。二人ともくたくた。
 そして仕事は待ってくれないのである……。

モヤモヤ

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 世の中には理解に苦しむ行動をする男がいるもので、それに対してこちらは受け身でどうすることもできないということが多々ある。
 これはそんな場面のひとつである。

 先日訪れた堺市役所の最上階展望ロビーのトイレで小便をしていたときのことである。
 後からトイレに入って来た40代の見知らぬ男が、すぐ隣に私がいるにも関わらずなんと用を足しながら長ったらしい放屁をしたのである。出物腫れ物所嫌わず、つい出てしまった屁はしかたないが、それはまるでこのトイレ全体が彼一人だけのプライベート空間かと思わせるほど、少しもためらうこと無く、平気で屁をこきくさりやがったのだ。
 男と私、知らない者どうしの肩と肩約20センチの距離でピィ〜プゥ〜とは……。なんてふてえ野郎ではないか。とても普通の神経の持ち主ではない。
 しかも男はそんなこと屁とも思わないような顔をしている。事実、問題は屁なのだ……。
 放屁する場所をトイレの中か外かで問われればたしかに中であろうが、見ず知らずの他人の隣にいるなら少しは遠慮してやめておくというのが最低限のマナーだ。何よりもあの聴かせてやるといわんばかりの無遠慮な鳴らし方がどうも引っかかる。

 さすがの私も隣で屁をこかれただけで「おいッ、貴様ァ!」と怒鳴ったり、拳を振り上げるのも何か違う。(そもそも両手はふさがっているので振り上げられないが)
「なんやねんその音〜!」と突っ込んだり、困ったときの愛想笑いもできず、仕方がないので目も合わさないようにして無言でファスナーを閉めるだけであった。
 洗面所で手を洗いながら鏡に映る自分に問いかける。
「しょうがないよなぁ。しょうがないやろ。う〜ん……」

 展望ロビーに戻り景色を眺めた。最上階とあって見晴らしが良い場所である。そこから見える堺の街は夕陽で紅く染まりキラキラしていた。
 しかし、私の頭の中でさっきのあの男の屁の音がリフレインしている。
「しょうがないのか? あの場合、受け身でしかないのか……?」という自問がしばらくのあいだつきまとった。
 不可抗力だ。
 自然の力に人間はどうすることもできない。それを不可抗力という。あきらめるほかないのかもしれない。
 それにしてもである。屁は自然現象であるというけれど、あの長ったらしい屁が自然のものだといえるだろうか……。
 納得がいかない気持ちのまま、やはりどうすることもできないのである。
 答えは風に吹かれて誰にもつかめない。屁だけに。

 下品でくだらない投稿で本当に厭になりますね。

男の危険回避

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 エスカレーターでたまたま居合わせた前の女性がスカートを手で押さえることがある。その瞬間にこちらがあらぬ嫌疑をかけられる立場に置かれたことになる。
 見る気もないのに一瞬で容疑者だ。それも一方的にだ。考えればじつに恐ろしい。
 吉本新喜劇の島田珠代に両手を取られ、自分の胸元に巻き付け「離してよ!」と言われるようなものだ。その場合は「なんでやねん!」とドツいて突っ込めるが、それもできない。
 こんなことで濡れ衣を着せられては堪ったものではない。
 だからそんなとき私は、偶然にでも“そこ”は見ていないことを強く主張するため、素早く且つ首が痛くなるくらいまったく別の方向に顔ごと向ける。それから手には何も持っていないことを主張するためにパーにする。その後はまぎらわしい動きをせずぴたりと静止する。マネキンのように。
 笑われるかもしれないが、この状況を侮ってはいけない。
 どんな事件に巻き込まれるか分からない時代、用心に越したことはないのだ。

 それが先日の場合は、前を歩いてミニスカートを手で押さえているのが女装した男であった。
 誰が見るか!
 ショッキングピンクは見ようとして見たのではない。見えたのだ。

 結局またその話かとご指摘もあるやもしれぬ。
 いや、まったくその通りなのである。

男はカサカサとどうつきあう

 私の身の回りのことを注意して見てくれている妻には感謝している。
 いつも「ちょっと大きなってきた」と私の後頭部に出来た円形ハゲの大きさの変化を教えてくれたり、ご飯を食べているときでも「鼻水出てるで」と親切に教えてくれる。本当にありがたい。
 その妻が先日、「うわっ、顔がカサカサで皺が深くなってるで」と汚いものを見るような表情で私の顔を覗き込む。
 確かに花粉のせいかこのごろ顔のあちこちが痒いし、顔の表面を触ってみると少しカサカサしている。水彩紙でいうとあのフランスの高級水彩紙アルシュの粗目のようだ。と、何も敢えて余計に分かりづらい水彩紙にたとえることもないのだが。
 鏡で顔を見たら、どういうわけか小鼻の脇のほうれい線が自分でも笑ってしまうくらい深かった。笑うとさらに深くなっておかしな表情になってこれまた面白い。また笑うから皺はどんどん深くなる。いや、深くしている場合ではない。
「化粧水なら時々風呂上がりにつけてるけどなあ」と妻に言うと、年取ったら男も化粧水だけでは駄目だとのこと。
 それで化粧水の他に乳液やクリームなど、妻が差し出すものを次々と顔に塗りたくったら気色の悪いほどテカテカのベトベトになってしまった。どれだけ塗るねん! まるで楽屋に戻った大衆演劇の役者がたっぷりのクレンジングでドーランを落としている時のようなベトベト顔ではないか。たとえているようなたとえていないような……。
 とにかく肌を良い状態で保つためにはじゅうぶんな保湿を怠らないことらしい。
 しかし、男たるもの本当にこれでいいのか?
 男がこんなものに頼っていたら顔の皮膚が軟弱になり、毎日朝晩ベトベトせずにはいられなくなるのではないだろうか。
 正直、面倒くさいとも思うのである。
 顔の痒みや皺の深さは、花粉によって肌が荒れたせいなのだろうが、私の信条としてむやみに肌を過保護に甘やかすことなどできるわけがない。
 まさか甘やかすことで中性的になるとは思わないが、やはり他の男性陣がベトベトにしていようとも私だけは化粧水までに止まり、カサカサになり皺を深めて、独りワイルドに生きてゆこうと思うのである。

年齢

 ご高齢の人の中に「わたし何歳に見える?」と言って自慢にしようとする人がいるが、そんなどうでもいい愚問にどう答えればいいのか、問われた方は対応に困るものだ。あれは周囲の人に“お約束”を強いるものであって、気の弱い者には踏み絵を踏まされる気分になるだろう。
 世間には歳相応に見えるか見えないかを気にして自分の年齢を隠す人がいるが、年齢はその人の生きてきた時間でしかない。何も恥ずかしがって隠すことはないし、同年の人より若く見えることを殊更に自慢することもない。
 見た目がどうあろうと、年齢は単なる生きてきた時間である。基本的にはそう思っているのだが、時々それが当てはまらないような人を見かけてしまう。どうしたものだろうか……。

 先日、散歩の途中、幼稚園の近くを通ったとき、子供を自転車の後ろに乗せたまましゃべっている主婦3人の会話が耳に入ってきた。けっしてそばで聞き耳を立てていたわけではない。幼稚園の前を走る車道を挟んだ向かいの歩道を私は歩いていたのだからそれほどの大きな声で彼女たちはしゃべっていたのだ。
「嫌やわぁ、もうすぐ20代ではなくなるわぁ〜」
「そうそう、ホンマやなぁ〜」
 この言葉から二人は20代後半の主婦なのがわかる。30歳になるくらいで何を大袈裟なことを言っているのだと思った。30代がどうした。まだまだ若いではないか。
「何言うてんのぉ! わたしみたいに、ただ30代になるだけよぉ!」
 もう一人が答えた。30代の主婦のようだが、彼女の言うとおりだ。そう、それだけのことである。20代と30代の違いにいったいどんな大きな差があるというのだ。嫌になることなどあるものか。
 何気なく30代の人を見た。50代に見えた。
 その瞬間にさっきの20代の人達の気持ちが何なのかがわかった気がした。
 30代の象徴として彼女たちは目の前の“あなた”を見ていたんだと。
 私はこの場合、どちらも正しいと思った。
 困ったことに、年齢は単なる時間ではない、例外的にそういう場合があるのだ……。